誘惑には屈する方がいい、もう二度と訪れないかもしれないから。

temptation

誘惑には屈する方がいい…

Yield to temptation.
It may not pass your way again.

―Robert Anson Heinlein,Time Enough for Love

誘惑には屈する方がいい
もう二度と訪れないかもしれないから

とは、
SF作家ロバート・A・ハインラインの言葉。

古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者エピクロスの名言、
誘惑が去ってしまわないうちに急いで誘惑に負けように似ているな。

確かにその誘惑が二度と訪れないんだったら、
みすみす逃してしまうのはちょっと勿体ないかもしれない。

なんて言うと眉を顰める人がいるかもしれないけれど、
こういった姿勢は嫌いじゃあない。

もちろんそれがどんな誘惑なのか?
にもよるんだけれど。

ただ何でもかんでも『誘惑に屈することは悪いことだ』、
と最初から決めつけてしまうのはちょっと違う気がする。

だってその誘惑に屈することで、
新しい世界の扉の鍵になるかもしれない。

そんなステキな可能性があるかもしれないのに、
最初から良くないことだ決めつけるのはいかがなものかと思うのだ。

子供から誘惑を取り除くのはどうなんだろう?

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例えば子供は好奇心の塊だから、
さまざまな誘惑がやってくる。

もしも周りの大人たちがそれらすべてを「ダメよ」と取り除いていってしまったら、
いったいその子供はどんな大人になってしまうのだろう?と考えると少しばかり怖い。

親の価値観で勝手に小さな世界に閉じ込めて、
せっかくの好奇心を奪ってしまう。

そんなことをすれば、
恐ろしく狭い視野と余りにも虚弱な想像力しか持ち合わせていない大人をつくることになるかもしれない。

もしくはその反動で、
選択する自由を忘れてしまってあらゆる誘惑に身を委ねるだけの大人にしてしまうかもしれない。

好奇心と誘惑は比例する?

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思うに、
好奇心と誘惑はきっと比例するものなのだ。

好奇心が強ければさまざまな誘惑がやってきて、
広い視野と高い想像力を手に入れることができる。

もちろんそれが本当に良いのかどうか?
は人それぞれなんだろう。

ただ狭い視野と低い想像力では、
明らかに選択肢は少なくなるはずだ。

それなら、
選択肢がいつもたくさんある方が良いかな。

なのでボクの場合はもちろん取捨選択しながらだけど、
誘惑にはなるべく屈するようにしている。

ただ年齢を重ねていくと、
好奇心のメーターがどんどん下がっていっている気がするのだ。

好奇心のメーターの針が上がらなくなれば、
訪れる誘惑の数も自然に少なくなってしまうに違いない。

それってとても平和で穏やかだなことだから、
悪いことではないという意見もあるだろう。

でもね、
それってなんだかつまらない気がするんだよな。

逸脱をネガティブに考えることは正しいんだろうか?

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逸脱、
それをしてはいけないと考える人はきっと多いんだろう。

でも逸脱=悪いこと捉えるのではなく、
逸脱=新たな可能性を広げると考えるのも良いのではないだろうか?

そもそも何から逸脱するのか?
その何かは本当に正しいんだろうか?

逸脱する世界が自分にとってとても大切なもので袂を分かつなんて考えられない、
というのなら逸脱しないという選択をするのもありだ。

でもその世界が自分にとって違和感があったり辛かったり馴染めなかったりするんだったら、
別に逸脱するのは構わないのではないだろうか?

無理して、
その世界に縛られる必要はない。

なんて言いながら、
そうは言ってもどこかで寄り添わなければいけないんだろうなとも思うけれど。

Tom Waits – Temptation

Temptation, temptation, temptation.
I just can’t resist.

―Tom Waits – Temptation

最後に1曲、
トム・ウェイツ1987年のアルバム『Franks Wild Years』に入っている『Temptation』。

彼も「誘惑には抗えねえや」と唄っているけど、
やはりそういうことだ。

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