Forth on the Daydream

Forth on the Daydream

日々の泡

逃げ出したくなることだってある

逃げ出したくなることだってある。それは甘えなんだろうか?我儘なんだろうか?悪いことなんだろうか?ハンガリーの諺にSzegyen a futas, de hasznos(逃げるは恥だか役に立つ)というものがある。逃げることは選択肢であり戦略だ。

富士吉田のうどんと志村正彦とクリスマス・イヴと

『富士吉田のうどんと志村正彦とクリスマス・イヴと』。彼が魔法をかけた音楽を聴いてからは、ボクの中で富士吉田と言えば吉田のうどんだったけれど今ではもう志村正彦になってしまった。そして、クリスマス・イヴと言えば、彼が消えた日になってしまったな。

時間が経つといろいろな可能性がゼロになることもあれば考えもしなかった可能性が現実になることだってある

時間が経つといろいろな可能性がゼロになることもあれば考えもしなかった可能性が現実になることだってある。可能性は拡がったり縮んだりするものだ。だからそのことを忘れずにタイミングを見計らって物事のはんだんをしていくようにしなければいけないのだ。

時間が向こうからやって来てどうぞ自由に使ってねと言ってくれていた頃のお話

下らないことばかりの日々で後悔の数が増えると、 時として大事なものをきちんと丁寧に大切に扱えるようになる。そんな風に考えると、後悔の数を増やすこともあながち悪いことではなくなるのだ。まあ、考え方次第で同じことでも違うものになるということだ。

小確幸の連続は幸せを状態化するのかもしれない

本来、幸せとは状態ではなくそう感じる瞬間。だから状態として幸せになるとか、なんて自分は不幸なんだろうと思うのはちょっと違う気がする。ただ日常生活での小さくてささやかだけれど確かな幸せをいつも感じられるのだったらそれはある意味幸せ状態かもな。

キンクスと太宰治がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!

秋分の日になると必ず聴く曲がある。キンクス1967年リリースの『Something Else By The Kinks』から『Autumn Almanac』。そして必ず読む文章がある。太宰治の『ア、秋』。知っている人が増えるといいなと思う。

ベンチは豊かさの象徴かもしれないななんて思ったりして

100年以上も昔々のこと、アメリカのフロリダ州西海岸にあるセント・ピーターズバーグには、なんと7000もの緑色のベンチがあったそうだ。誰にでも開かれた場所で誰でも受け入れられる場所…そんなある意味理想のような場所がかつては存在していたのだ。

花火 若者のすべて

花火だ。ふとある言葉が浮かんでくる。兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました。そしてこの曲が少し遅れて頭の中で流れだす。ないかな ないよな きっとね いないよ 会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ。妄想が現実になる可能性を残せ。

8月8日は風の歌を聴け記念日 夢の不在に再会する

毎年8月8日がやってくると読みたくなる本がある。それが村上春樹最初の作品である『風の歌を聴け』だ。描かれている世界は存在理由を失ってしまった僕の内側を巡るトリップ。ビーチ・ボーイズのCalifornia Girlsが流れるのには理由がある。

夏なんです

熱中症危険性が極めて高い気象状況が予測されていますとアラート。それでもボクはその世界へと自転車で飛び出す。ギンギンギラギラの太陽にホーシーツクツクの蝉の声、モンモンモコモコの入道雲。はっぴいえんどの夏なんですが頭の中でぐるぐると鳴り始める。