花火 若者のすべて

花火

花火

ドンッ、
重低音がノイキャンのイヤホンの向こうなのに身体に響いてくる。

どうやら、
今日も近くで花火が打ち上げられているみたいだ。

電車を降りて駅の改札を抜けると、
歩道に立ち止まって夜空を見上げている人たちが居る。

一緒になってその方向を見ると、
確かに夜空に花がいくつも咲いている。

太宰治 – 花火

兄さんが死んだので、
私たちは幸福になりました。

―太宰治、花火(日の出前)

ふと、
ある言葉が浮かんでくる。

太宰治昭和十七年『文芸』十月号に発表も、
当局によって全面削除された『花火』の最後に出てくる節子の言葉だ。

戦後、
小説集『薄明』所収の際に『日の出前』と改題されている。

世界の文学にも未だかつて出現したことがなかった程の新しい言葉、
作者が読者にお伝えしたかった一少女の不思議な言葉として書かれている。

これは検事がおわかれに際して、
しんみりした口調で言ったことに対する節子の言葉だ。

それではお大事に。
悪い兄さんでも、
あんな死にかたをしたとなると、
やっぱり肉親の情だ、
君も悲しいだろうが、
元気を出して。

それに対して、
いいえと少女は眼を挙げて答えたのが最後の一節。

兄さんが死んだので、
私たちは幸福になりました。

彼女の言葉は、
どういう意味なんだろう?

そのまま捉えれば、
やっと兄から解放されたということなのかもしれない。

でも、
本当はこんな兄だったはずなのにと思っている兄を取り戻すことができたからとも捉えられる。

それを邪魔していた邪悪な兄はもういなくなって、
自分たちの本当の兄を思うことができると。

それは、
兄自身もそうなのかもしれない。

邪悪にならざる終えなかった自分が死んだことで、
周りに本当の自分を残せたんだと。

ある意味実は救われないようでいて、
皆が救われている物語なのかもしれない。

ただ、
花火はこの物語にはどこにも出てこない。

時が経つと美しくないものであっても自然に美化されていく

ドンッドドンッ、
イヤホンを耳から外したあとに少しだけズレてはいるけれどリアルに聞こえる花火の音。

これが、
多分最後の花火だろう。

やがて彩られていた夜空は、
いつもの夜空に戻ってしまう。

何事もなかったように、
人々は日常に戻って歩き出す。

節子の元には、
理想的な兄が残るのかもしれない。

それでも、
邪悪な兄は残像として目の裏側に残っているはずだ。

そして、
それを時々懐かしく思うことがあってもおかしくはない。

失われたものは、
時が経つと美しくないものであっても自然に美化されていくものでもあるのだ。

元々美しかったものはどうなるんだろう?

では、
元々美しいものが失われた場合はどうだろう?

途切れた夢の続きを取り戻そうとした妄想は、
こんな風に表現されるのかもしれない。

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

―志村正彦、若者のすべて

時として、
すりむいたままそっと歩き出すことで妄想は現実になったりもする。

ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな
最後の最後の花火が終わったら 僕らは変わるかな 
同じ空を見上げているよ

―志村正彦、若者のすべて

でも、
妄想は妄想のままなことだってもちろんある。

それが、
100%の絶望だ。

そうなる前に、
100%を99%でも良いからすべきなのだ。

1%でも良いから、
可能性を残すことに全力を注ぐべきなのだ。

ただ選択を迫られた時に、
そう考えることは難しい。

だから、
先に知っておくべきなのだ。

なので、
ここに書いておく。

世界の約束を知って、
それなりになってまた戻っても何をすべきなのか?

可能性を残しておくこと、
ただそれだけのことだ。

若者のすべて



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