パーシー・ビッシュ・シェリー

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アドネイス

1969年7月5日、
ロンドンにある6つの王立公園の1つハイド・パークで開かれたHyde Park Free Concert。

ミック・ジャガーが、
演奏前に2日前に亡くなったブライアン・ジョーンズのために詩を朗読する。

Peace, peace! he is not dead, he doth not sleep
He hath awakened from the dream of life
‘Tis we, who lost in stormy visions, keep
With phantoms an unprofitable strife,
And in mad trance, strike with our spirit’s knife
Invulnerable nothings. — We decay
Like corpses in a charnel; fear and grief
Convulse us and consume us day by day,
And cold hopes swarm like worms within our living clay.

The One remains, the many change and pass;
Heaven’s light forever shines, Earth’s shadows fly;
Life, like a dome of many-coloured glass,
Stains the white radiance of Eternity,
Until Death tramples it to fragments. — Die,
If thou wouldst be with that which thou dost seek!
Follow where all is fled!

― Percy Bysshe Shelley,Adonais: An Elegy on the Death of John Keats, Author of Endymion, Hyperion, etc.

静かなれ、静かなれ!彼は死んだわけでも眠ったわけでもない
彼は人生の夢から目覚めたのだ
激しい夢想におぼれ幻影と虚しい戦いを続けて
恍惚となり精神の刃で
不死身の無を打つのはわれら
その私らこそ死の家の屍のごとく
腐敗し、恐怖と悲哀は私らを
日々悶えさせ私らを焼きつくし
つめたい希望は蛆虫どものように私らの肉体のうちに群がる

一つは残り多くは変化し消滅する
天国の光は永遠に輝き大地の影は飛び去る
生は多彩なガラスの円蓋のように
死がそれを踏み砕くまで
永遠が放射する白光を彩る───死ぬがよい
もしおまえがおまえの求めるものと共にありたいならば!
あらゆるものの飛び去るあとを追うのだ!

これはイギリス・ロマンティシズムを代表する詩人、
パーシー・ビッシュ・シェリーのAdonaisの中の一節だ。

ローマで亡くなった、
ジョン・キーツの死を悼む長大な挽歌。

I’m Yours and I’m Hers

詩の朗読が終わると、
蝶が段ボール箱から放たれ1曲目が始まる。

曲はオリジナルではなくて、
ジョニー・ウインターのI’m Yours and I’m Hersのカバー。

まだ一か月前にコロンビアから出たばかりのデビュー・アルバム、
Johnny Winterのオープニングを飾る曲。

後にも先にも公式にストーンズがこの曲をカバーしたのは、
この時限りだ。

知覚の扉

イギリス・ロマンティシズムといえば、
ウィリアム・ブレイクが先駆者。

その後ウィリアム・ワーズワースとサミュエル・テイラー・コールリッジ、
1978年の詩集Lyrical Ballads(抒情民謡集)でイギリス・ロマンティシズムは本格的に始まる。

ウィリアム・ブレイクといえば、
1790~93 年に書かれたThe Marriage of Heaven and Hell(天国と地獄の結婚)の中の一節がすぐに思い浮かぶ。

If the doors of perception were cleansed
every thing would appear to man as it is,infinite.
For man has closed himself up,
till he sees all things thro’ narrow chinks of his cavern.

― William Blake, The Marriage of Heaven and Hell

知覚の扉が清められた時
初めて何もかもがありのままの無限の姿を顕わすだろう
なぜなら人は自らを閉じ込め
洞窟の狭い隙間からものを見ているに過ぎないからだ

最初に出てくるthe doors of perceptionは、
後にオルダス・ハクスリー1954年のエッセイ集The doors of perceptionのタイトルになっている。

エッセイ集とはいっても、
幻覚剤メスカリンによるサイケデリック体験の手記と考察だけど。

そして、
このThe doors of perceptionからバンド名を決めたのがThe Doorsだ。

パーシー・ビッシュ・シェリー

パーシー・ビッシュ・シェリーは、
サセックスの大地主でホィッグ党国会議員だったサー・ティモシー・シェリーの子として生まれた。

学校でのシェリーの生活は、
同級生からの猛烈ないじめを受けていたらしい。

18歳でオックスフォードのユニヴァーシティ・カレッジに進み、
講義には殆ど出ずに本を読み漁ってようだ。

2年生の時には無神論の必要性というパンフレットを配り、
退学処分を受けることになる。

退学後19歳のシェリーは、
16歳の少女ハリエット・ウェストブルックと結婚。

20歳の頃には小さな子供と身重の妻を捨てて、
後にフランケンシュタインの作者となる16歳のメアリーと駆け落ちする。

ちょっとした偶然

1969年7月5日、
ミックがハイドパークでシェリーのアドネイスをブライアン・ジョーンズのために朗読する。

21歳だったシェリーの最初の妻ハリエットは、
そのハイド・パークのサーペンタイン池に身を投げている。

シェリー自身は1822年7月8日、
30歳の誕生日を前にしてボートが転覆し海の底に沈んでしまう。

それから150年近く経った夏、
1969年7月3日に27歳のブライアン・ジョーンズは自宅のプールの底で発見される。

そしてちょうど2年後の1971年7月3日、
ジム・モリスンも同じ27歳でパリのアパートにあるバスタブの中であっち側に行ってしまう。

ストーンズのツアー・マネージャーでハイド・パークで蝶を放ったトム・キーロックは、
ブライアンの死からちょうど40年後の2009年7月2日に亡くなっている。

ジムと一緒にパリのアパートにいたパメラ・カーソンは、
ジムの死から3年後の1974年4月25日に27歳で亡くなっている。

繋がっていないようで、
いろいろ繋がっていたりする。

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