小確幸の連続は幸せを状態化するのかもしれない

小確幸

ある幸せな瞬間に気付く力を持っているということは、
幸せな瞬間をいつも積み重ねていけるということだ。

何しろ幸せは継続的な状態なんかではなくて、
その瞬間瞬間に感じるものだからね。

だから継続的状態として幸せになりたいとか、
自分だけナゼこんなに不幸なんだろうと思ったりするのはちょっと違う気がするのだ。

というような考え方をしている方が、
幸せの瞬間に満ち溢れた日々を過ごせるんじゃないかとつくづく思うようになった。

もちろん、
ささやかな幸せを感じることができない状況っていうのはあるかもしれない。

でも『幸せっていうのは継続的状態ではなくて瞬間の幸せの積み重ねなんだ』という考え方になると、
そんな時でも随分と救われるんじゃないかなと思う。

幸せって思う瞬間の中に不幸だと思う瞬間だってあるし、
不幸だよなって思っている中でも瞬間の幸せは絶対にあるはずだから。

そういう意味で『小確幸』という言葉は、
見事な造語だと思うわけなのである。

日常生活での小さくてささやかだけれど確かな幸せ、
それをいつも感じられるのだったらそれはある意味幸せな状態と言っても良いのかもしれない。

引き出しの中にきちんと折ってくるくる丸められた綺麗なパンツが
たくさん詰まっているというのは
人生における小さくはあるが確固とした幸せのひとつ(略して「小確幸」)ではないか
と思うのが、
これはあるいは僕だけの特殊な考え方かもしれない。

—村上春樹,ランゲルハンス島の午後,19小確幸

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