実は与えられなかったのでも奪われなかったのでもない

Mercedes Benz

The 27 Clubのこと?

ジャニスがアカペラで、
ああ神様わたしにベンツを買って下さいと唄っている。

確かこれって、
彼女が亡くなる3日前に吹き込んだ曲よね?

うん。

彼女が亡くなる前年1969年7月3日、
ブライアン・ジョーンズはクマのプーさんのプールの底に。

1970年9月18日にはジミ・ヘンドリックスが、
ワインの海で溺れてしまう。

そして翌月の10月4日にはジャニス・ジョプリンが、
マールボロの封も切らずに4ドル50セントを残してベッドの横の床で発見される。

翌年1971年7月3日にはジム・モリスンが、
パリのル・マレのアパートにあるバスタブでトリを飾っている。

それって、
The 27 Clubのこと?

そう、
ボクは入会できなかったけれどね。

結局のところ、
神様はボクには何も与えもしなかったけれど奪いもしなかったみたいだ。

リストから外されたってこと?

そういうことになる。

だったら良かったじゃない。

そうかな?

そうよ。

99% for Nothing

ボクには随分と小さな頃から27歳で死んじゃうんじゃないか、
という理由のない意味不明の妄想があった。

それはまだ、
The 27 Clubなど知らない頃の話だ。

やがて1970年前後の音楽を好んで聴くようになり、
このクラブのことは自然と知ることになる。

よくカート・コバーンが27歳で亡くなった時に、
公衆にこのクラブのことが認識されて定着したっていわれるけどそれより前の話だ。

そして彼らがプレゼントされたある種の魔法を、
神様がボクにも与えてくれているんじゃないかと思ったりもした。

でもそれこそが妄想で、
神様は特別な何かをボクに与えてくれることはなかった。

なので、
ボクは未だにこうやってくたばらずにいるのだ。

与えられなかった代わりに、
奪われもしなかったということだ。

もちろん得たものもあれば、
失ったものもある。

ノートの真ん中に線を引いて、
得たものと失ったものを書いていけば失われたものの数の方が多いはずだ。

それでも、
書くことで改めて感謝すべき得たものだってたくさんあることに気付くだろう。

得たものは与えられたものなんだろうか?
失ったものは奪われたものなんだろうか?

そうなると与えられなかったわけでも、
奪われなかったわけでもないということではないのだな。

それは、
決して悪くはない。

幻想の欠片

彼らが残していった空白は、
何か別のもので埋められることはあるんだろうか?

表面上は、
次から次へと埋められていくんだろう。

でも決して埋められない空白は、
嫌でも存在している。

それは博物館のガラスの向こう側に展示され、
今も変わらず美しき伝説として保存されているのだ。

来るものを拒むこともなく、
ただひっそりとそこに存在している。

たとえマジックの種明かしがされて幻想が打ち砕かれたとしても、
幻想の欠片はそこにそのまま保管されているのだ。

Janis Joplin – Mercedes Benz

I’d like to do a song of great social and political import. It goes like this…
とても社会的で政治的重要な曲を唄おうと思うの。こんな感じよ…でこの曲を唄い出すジャニス。

1970年10月1日のことで、
3日後の10月4日に彼女は向こう側の住人となる。

2015年末、
ジャニス・ジョプリンの乗っていた1964年製ポルシェ356Cが約2億円で落札された。

サイケデリックなペイントを施した、
あの有名なポルシェだ。

Mercedes Benzの歌詞の中では友だちは皆ポルシェだしねと唄っているが、
本人はとっくにポルシェに乗っていたのだ。

1964年購入でジャニスはすぐさまコンサート・スタッフのデイブ・リチャーズに、
宇宙をイメージしたグラフィックを車体に描かせたのがこの車だ。

この曲の歌詞は、
ボビー・ウーマックとのメルセデス・ベンツ600でのドライブが着想のきっかけだった。

そういえばジャニスのポルシェは、
1度盗難に遭っている。

幸い戻ってきたけれど、
戻ってきた後で今度は持ち主が神様に盗難に遭っている。

この曲は、
ジャニスのThat’s it!(おしまい!)の声で終わる。

その通り、
この日がジャニス最後のレコーディングの日になってしまった。

Comment Feel Free

タイトルとURLをコピーしました