期待とはある意味賭けみたいなものだ

no-expectations

ストーンズのNo Expectationsが流れている

やっとのことで手に入れた、
SONY 1R-81。

内ポケットに入れたそのトランジスタラジオからは、
ストーンズのNo Expectationsが流れている。

音は良くないけれど、
ブライアン・ジョーンズのスライド・ギターはそれでも美しい。

99% for Nothing,Epigraph

ボクは何かに期待したりはしない

ボクは、
何かに期待したりはしない。

何かは所詮何かであって、
コントロールできずに裏切られるからだ。

ボクは、
誰かに期待なんてしやしない。

誰かは結局誰かであって、
自分の影じゃあるまいしいつかは離れてしまうからだ。

だからといって、
ボクはボク自身に期待するわけでもない。

ボクはボクだけれど、
本当のボクはもうとっくに1度消えてしまっているからだ。

Rolling Stones – No Expectations

Rolling Stones
No Expectations

もちろん、
ミックとキースの曲だ。

1968年のアルバム、
Beggars Banquetに収録されている。

そして、
シングルStreet Fighting ManのB面でもある。

やはり、
ブライアン・ジョーンズのスライド・ギターは素晴らしい。

チャーリー・ワッツのクラベス、
ニッキー・ホプキンスのピアノも効いている。

そして、
ミック・ジャガーのヴォーカルもまた良いのだ。

ブライアンはこの曲を最後に、
スタジオを去ることになる。

そして、
こちら側からも…。

Adonais

2日前のブライアン・ジョーンズの死によって、
ミック・テイラーのお披露目がブライアン追悼となったストーンズのHyde Park Free Concert。

冒頭でミックは、
詩の一部を朗読する。

イギリスのロマン主義の詩人パーシー・ビッシュ・シェリーが、
1821年に没した同じくロマン主義の詩人ジョン・キーツの死を哀悼し書いた55節495行のAdonais。

Adonaisは、
オリエントの神であるアドニスのことだ。

アドニスは、
死と再生を繰り返すとされた。

シェリーはキーツをアドニスに重ねることで、
その芸術が永遠であることを歌ったんだろう。

ミックが詩の朗読を終えると、
段ボール箱からおもむろに蝶が放たれる。

まるでブライアンの魂が、
雑に解き放たれているような光景。

この時ストーンズの面々、
特にキースとミックはどう思っていたんだろう?

2人とも、
葬儀にも参加しなかったんだからね。

それでもミックはこの詩の朗読の時、
ブライアンをキーツやアドニスに重ねていたんだろうか?

このコンサートでは、
ブライアンの後釜に約1カ月前に座ったミック・テイラーがこの曲のスライドを奏でている。

でももうあの儚い美しさは、
魔法が解けてしまったようにどこにもない。

テイラーが、
悪いわけじゃあない。

ストーンズが、
違うステージに移っただけのことだ。

それまでのストーンズの曲の多くを印象的にしてきたブライアンがそのまま存在していても、
ストーンズはアップデートできなかったはずだ。

今となってみれば、
その選択はある意味正しかったのかもしれない。

期待はある意味賭けみたいなものだ

期待なんてすると、
ガッカリとすることが多い。

だったら、
最初から期待なんてしなければ良いんだけど。

でも、
ついつい何かに・誰かに・自分に期待してしまう。

そして、
またガッカリさせられる。

それもまた人生さ、
なんて嘯くつもりはない。

期待なんてしなければ良い、
というのはやはり味気ない。

期待してはガッカリして、
ガッカリしては期待して。

その繰り返しを、
また繰り返す。

大きな期待、
小さな期待。

期待し過ぎで大きなガッカリがやって来ることもあるけど、
たいして期待してなかったのにいろいろと得ることだってある。

期待とは、
ある意味賭けみたいなものだ。

どこまで賭けるのか、
あっさり降りてしまうのか。

まあそんな風に、
ある程度自分で決めた通りに出来れば良いんだけどね。

なかなか、
そうはいかないものなのだ。

でもまあ、
ストーンズは賭けに勝ったんだろう。

大きな犠牲も払ったけれど、
今のところミックもキースもまだ転がり続けている。

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