期待とはある意味賭けみたいなものだ

no-expectations

ストーンズのNo Expectationsが流れている

やっとのことで手に入れた、
SONY 1R-81。

内ポケットに入れたそのトランジスタラジオからは、
ストーンズの『No Expectations』が流れている。

あまり音は良くないけれど、
そこから聴こえてくるブライアン・ジョーンズのスライド・ギターは今でも美しい。

彼は、
ずっと期待していたに違いない。

期待のその赤い風船は、
膨らんでは萎んでを繰り返す。

期待通りなら、
次を受け入れられるように容量は増える。

期待通りでなければ、
その球体はどんどんどんどん膨らんでいく。

実際、
それは容赦なく膨らみ続ける。

どうにもならないくらいに大きくなってもなお、
まだ膨らみ続ける。

怖くて堪らないから、
見ないように逃げ込む。

あとは、
誰かがキッカケをつくってくれさえすれば良かった。

やがて人知れずスイッチは押され、
クマのプーさんのプールに沈んでいく。

期待は泡となり、
逃げ場を失う。

逃げ場を失い、
閉じ込められる。

閉じ込められたことには、
もはや気付きようがない。

持ち主は、
もうラインを越えてしまったのだから。

99% for Nothing,Epigraph

ボクは期待したりはしない

ボクは、
何かに期待したりはしない。

何かは所詮何かであって、
コントロールできずに裏切られるからだ。

ボクは、
誰かに期待なんてしやしない。

誰かは結局誰かであって、
自分の影じゃあるまいしいつかは離れてしまうからだ。

もちろんて、
ボクはボク自身にも期待しない。

ボクはボクだけれど、
本当のボクはもうとっくに1度消えてしまっているからだ。

Rolling Stones – No Expectations

Rolling Stones、
No Expectations。

もちろん、
ミックとキースが書いた曲だ。

1968年のアルバム、
あの『Beggars Banquet』に収録されている。

そして、
シングル『Street Fighting Man』のB面でもある。

やはり、
ブライアン・ジョーンズのスライド・ギターは素晴らしい。

チャーリー・ワッツのクラベス、
ニッキー・ホプキンスのピアノも効いている。

そして、
ミック・ジャガーのヴォーカルもまた良い。

でも、
やはりブライアン・ジョーンズのスライド・ギターに尽きる。

彼はこの曲を最後に、
スタジオを去ることになる。

そして、
こちら側からもだ。

Adonais

ブライアン・ジョーンズの死によって、
ミック・テイラーのお披露目がブライアン追悼となったストーンズの『Hyde Park Free Concert』。

彼が亡くなってから、
まだ数日しか経っていない。

そんな状況の中で、
冒頭でミックが詩を朗読する。

書いたのは、
イギリスのロマン主義の詩人パーシー・ビッシュ・シェリー。

1821年に没した同じくロマン主義の詩人、
ジョン・キーツの死を哀悼し書いた55節495行の『Adonais』。

この『Adonais』は、
オリエントの神であるアドニスのことだ。

アドニスは、
死と再生を繰り返すとされた。

シェリーはキーツをアドニスに重ねることで、
その芸術が永遠であることを歌ったんだろう。

ミックが詩の朗読を終えると、
段ボール箱からおもむろに蝶が放たれる。

まるでブライアンの魂が、
雑に解き放たれているような光景。

実際多くの蝶は、
閉ざされた空間で死に至っている。

この時ストーンズの面々、
特にキースとミックはどう思っていたんだろう?

2人とも、
ブライアンの葬儀には参加していない。

それでもミックはこの詩の朗読の時、
ブライアンをキーツやアドニスに重ねていたんだろうか?

それとも、
単なるパフォーマンスだったのかもしれない。

このコンサートでは、
約1カ月前にブライアンの後釜に座ったミック・テイラーがスライド・ギターを奏でている。

でももうあの儚い美しさは、
魔法が解けてしまったかのようにどこにもない。

それはテイラーが悪いわけじゃあなくて、
ストーンズが違うステージに移っただけのことだ。

ストーンズの曲の多くを印象的にしてきたブライアンがそのまま存在していても、
ストーンズはアップデートできなかったはずだ。

今となってみれば、
その選択はある意味正しかったのかもしれない。

期待はある意味賭けみたいなものだ

期待なんてすると、
ガッカリとすることが多い。

だったら、
最初から期待なんてしなければ良いんだけど。

でも、
ついつい何かに・誰かに・自分に期待してしまう。

そして、
またガッカリさせられる。

それもまた人生さ、
なんて嘯くつもりはない。

期待なんてしなければ良い、
というのはやはり味気ない。

期待してはガッカリして、
ガッカリしては期待して。

その繰り返しを、
また繰り返す。

大きな期待、
小さな期待。

期待し過ぎで大きなガッカリがやって来ることもあるけど、
たいして期待してなかったのにいろいろと得ることだってある。

期待とは、
ある意味賭けみたいなものだ。

どこまで賭けるのか、
あっさり降りてしまうのか。

まあそんな風に、
ある程度自分で決めた通りに出来れば良いんだけどね。

なかなか、
そうはいかないものなのだ。

でもまあ、
ストーンズは賭けに勝ったんだろう。

犠牲も払ったけれど、
犠牲はステップ・アップとなる。

そして、
今のところミックもキースもまだ転がり続けている。

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