『ア、秋』ではなくて『ア、死』

a-shi

ア、死

偽物の詩人ともなれば、
いつになったってどんな注文も来やしない、
とは知りながら、
それでも常に詩材の準備をして置くのである。

「死について」という注文が来れば、
よし来た
と「シ」の部の引き出しを開いて、
真実、
四季、
白、
いろいろのノオトがあって、
そのうちの、
しの部のノオトを選び出し、
落ちついてそのノオトを調べるのである。


死ぬことは怖いとは思わない。
ただ勿体ないなと思うだけだ。

と書いてある。

誰にでも平等に死は訪れるものだから、
それを怖いと思うことはないけれど、
死ななければもっといろいろとあるのだから勿体ない、
と言っている言葉らしい。


ロバート・ジョンソン、
ブライアン・ジョーンズ、
ジミ・ヘンドリックス、
ジャニス・ジョプリン、
ジム・モリスン、
カート・コバーン、
エイミー・ワインハウス…
ボクも10代の頃は27クラブ入会する予定だったんだけどな。

と書いてある。

27クラブである。


ソロソロかな、
などと思ったけれど、
よくよく考えたら、
というかフト思い出したら
親はまだ生きていて、
ならば親不孝はしたくないなと考えた。

とも書いてある。


彼女はいつの間にかあっち側に行ってしまった、
ボクは今のところまだその予定はない。

と書いてある。

姉が亡くなりました、
電話の向こうで本人の声みたいに妹が告げる、
それをただの物真似の冗談かと思ったのは罪だろうか。

時は止まっていて、
心地良くて、
でも止めるのは命懸けだったんだな。
それに甘えていたのはきっと罪なんだろう。

最初に試みたのはボク、
キミは違う方法で穏やかにラインを越えて、
ボクはラインのこちらに戻ってきた。


死は生の対極としてではなく、
その一部として存在している。

これは、
秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。
夏の中に、
秋がこっそり隠れて、
もはや来ているのであるが、
人は、
炎熱にだまされて、
それを見破ることが出来ぬ。
と同じなんだろうか。

ならば、
死は、
ずるい悪魔だ。
生きているうちに全部、
身支度をととのえて、
せせら笑ってしゃがんでいる。
死は、
根強い曲者である。

になる。


はないちもんめ。
マッチ売りの少女。

ルーベンス、
聖母被昇
死と引き換えのキリスト昇架とキリスト降架。

ずいずいずっころばし。
手打ちはごめんだよ。

よく意味のわからぬことが、
いろいろ書いてある。

何かのメモのつもりであろうが、
ボク自身にも書いた動機が、
よくわからぬ。


なぜ・ナゼ・何故と考えても、
死、
それは必然であり、
偶然でもあり、
結局、
いずれにせよ然るべきということだ。

これを書きこんだときは、
ボクは大へん苦しかった。

いつ書きこんだか、
ボクは決して忘れない。

けれども、
今は言わない。


捨てられた空。
と書かれてある。

空に向けて想いを手向けたことはありますか?
月、
太陽、
星、
雲、
稲光、
は裏で影をもつくっている。

最近になってようやく奴が亡くなったってさ。
安く楽な死を認めますか?
苦しまずに受け入れるにはどうしたら良いのでしょうか?

これもなんだか意味がよくわからぬが、
死の会話を盗み聞きして、
そのまま書きとめて置いたものらしい。


また、
こんなのも、
ある。

芸術家ハ、
イツモ、
弱者ノ友デアッタナノニ。

ちっとも死に関係ない、
そんな言葉まで、
書かれてあるが、
或いはこれも、
「生命の思想」といったようなわけのものかも知れない。

その他、
ススキ。哲学書。死ト兵隊。死の商人。火葬。土葬。散骨。
ごたごた一ぱい書かれてある。

そんなわけで…

残念ながらというかまあ当たり前だのだが、
太宰治の『ア、秋』のようにはいかないものなのだ。

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