Ode to L.A. While Thinking of Brian Jones, Deceased
1969年7月21日、
ドアーズはハリウッドのサンセット・ブルバードにあるアクエリアス・シアターで2度公演を行っている。
2度とも1960年にハウリン・ウルフが吹き込んだBack Door Manで始まり、
レイト・ショーではマディ・ウォーターズ1956年のRock Meで締めくくっている。
そのコンサートが始まる前に、
ジム・モリスンが書いた詩が来場者に配布された。
ウェスタン・リトグラフ社によって500部だけ印刷された、
6インチ x 9-1/2インチの2つ折り4ページのパンフレット。
1969年7月3日に亡くなった、
ブライアン・ジョーンズに捧げたものだ。
黄色い紙にオリーブ・グリーンのインクで印刷されているもので、
タイトルはOde to L.A. While Thinking of Brian Jones, Deceased。
詩は73行、
7月3日を表しているのかもしれない。
I’m a resident of a city
They’ve just picked me to play
The Prince of DenmarkPoor Ophelia
All those ghosts he never saw
Floating to doom
On an iron candleCome back, brave warrior
Do the dive
On another channelHot buttered pool
Where’s Marrakech
Under the falls
the wild storm
where savages fell out
in late afternoon
monsters of rhythmYou’ve left your
Nothing
to complete w/
SilenceI hope you went out Smiling
Like a child
Into the cool remnant
of a dreamThe angel man
w/ Serpents competing
for his palms
& fingers
Finally claimed
This benevolent
SoulOphelia
Leaves, sodden
in silkChlorine
dream
mad stifled
WitnessThe diving board, the plunge
The poolYou were the bleached
Sun
for TV afternoonhorned-toads
maverick of a yellow spotLook now to where it’s got
Youin meat heaven
w/ the cannibals
& JewsThe gardener
Found
The body, rampant, FloatingLucky Stiff
What is this green pale stuff
You’re made ofPoke holes in the goddess
SkinWill he Stink
Carried heavenward
Thru the halls of musicNo chance.
Requiem for a heavy
That smile
That porky satyr’s
leer
has leaped upwardinto the loam
―Jim Morrison – Ode to L.A. While Thinking of Brian Jones, Deceased
オレは街の住人で デンマークの王子を演ずるために 奴らにただ選ばれただけ 哀れなオフィーリアさ 鉄製の燭台の上を 破滅へと漂い流れる 全ての亡霊たちを彼は決して見ることはしなかった 戻ってこい 勇敢な戦士よ 飛び込むんだ 別のチャンネルへ 熱いバターを溶かしたプール マラケシュはどこだ 滝の下 ワイルド・ストーム 午後遅くに野蛮人たちが落ちた リズムの怪物たち アンタは沈黙と競うために 何も残さなかった オレは思いたい アンタは子供のように笑いながら 夢のひんやりとした名残りの中へ行ったんだと 天使の男 その掌に指に 絡みついていたヘビが とうとうこの優しい魂を 奪いさった オフィーリア 絹に濡れた葉たち 塩素 夢 気が狂った目撃者 小さく深いプール その飛び込み台 アンタは闘士だった 薔薇色の麝香の香りのするミューズ アンタは午後のテレビのための 漂白された太陽 ツノガエル 黄色い斑点のある異端者 さあ見るがいい アンタが連れて行かれる場所を 肉食天国 人食い人種と ユダヤ人と共に 庭師が発見したのは 制御不能の 浮遊する身体 幸運な死体 アンタを構成する この緑色の淡いものは何だ 女神の肌を突き刺し 穴を開けよ 音楽の会堂を通って 天国へと運ばれるとき 彼は嫌な臭いがするだろうか チャンスはない タフな奴へのレクイエム その微笑みが その肥ったサテュロスの色目が 飛び上がった 柔らかな土に向って ―ジム・モリスン - 故ブライアン・ジョーンズを思いながら LA への賛歌
多分・きっと・間違いなく、
この訳はダメダメだろう。
英語力がない上に、
ジム・モリスンの言葉だもんな。
エド・サリヴァン・ショーのドアーズとストーンズ
ところで1969年と1971年の7月3日に水の中で発見された2人は、
生前親しかったんだろうか?
一緒にいる写真を見たことはないし、
直接接点があったのかどうかをボクは知らない。
ただジムがブライアンに詩を捧げたことは、
事実だ。
そういえばドアーズもストーンズも、
エド・サリヴァン・ショーに出演していたっけ。
今更の、
有名な話だけど。
どちらも出演の際に、
歌詞を変えて演奏するように言われている。
1967年2月ストーンズはLet’s Spend the Night Togetherを演奏、
the Nightをsome timeに変えさせられている。
素直に従ったストーンズ、
もちろんその箇所を唄うところはそれなりにおちょくったような表情を見せているけど。
ドアーズは1967年9月にLight My Fireを演奏、
Girl we couldn’t get much higherの部分をbetterに変えるように要望された。
でもジムはそのまま唄ってしまう、
しかも殊更強調するように。
ストーンズは結局この番組に5.6回出演しているけど、
ドアーズはその後は出禁になっている。
それぞれバンド内では、
いったいどんな話し合いがもたれたんだろう?
どちらの対応が正しいのかは何とも言えないところだけど、
ボクはどちらの対応も嫌いじゃあない。
何となく、
それぞれのバンドに似合った対応をしたよねという感じがする。
もし自分の意図に沿わない要求をされたら?
さて、
もし自分の意図に沿わない要求をされたらどうするだろう?
それがあまりにも理不尽と感じたのなら、
多分拒否をしてしまうだろう。
でも、
総合的に考えてそれが大したことでなければ受け入れるに違いない。
その基準は何か?
それで誰かが傷付くのかどうか?という感じかもしれない。
誰も傷付かないのなら、
変な拘りは無くても良いかなって最近は思うようになった。
The Doors At Aquarius Theater, West Hollywood, CA, USA
Setlist(Late Show)
01 Back Door Man(Willie Dixon cover)
02 Break On Through (to the Other Side)
03 When the Music’s Over
04 You Make Me Real
05 Universal Mind
06 Mystery Train(Little Junior’s Blue Flames cover)
07 Cross Road Blues(Robert Johnson cover)
08 The Little Red Rooster(Willie Dixon cover)
09 Gloria(Them cover)
10 Touch Me
11 The Crystal Ship
12 Light My Fire
13 The Celebration of the Lizard
13-1 Lions in the Street
13-2 Wake Up!
13-3 A Little Game
13-4 The Hill Dwellers
13-5 Not to Touch the Earth
13-6 Names of the Kingdom
13-7 The Palace of Exile
14 Soul Kitchen
15 Close to You(Muddy Waters cover)
16 Peace Frog (Instrumental)
17 Blue Sunday
18 Five to One
19 The Palace of Exile
20 Rock Me (Muddy Waters cover) ※Encore
最後に、
ちゃんと残されていたドアーズのこの時のアクエリアス・シアターでの音を。
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