デレク・ハートフィールドとキルゴア・トラウト

デレク・ハートフィールドとキルゴア・トラウト

キルゴア・トラウト

デレク・ハートフィールドは、
村上春樹『風の歌を聴け』に出てくる架空の作家というのは周知の事実だ。

カート・ヴォネガットの複数の小説に登場する架空のSF作家、
キルゴア・トラウトみたいなもの。

キルゴア・トラウトは、
ニューヨーク州にある架空の町イリアムまたはコーホーズに住む売れないSF作家。

未完の長編を含め、
209作を残している。

架空の作家ではあるが、
Venus on the Half-Shellという作品は実際に刊行されている。

ただこれは、
フィリップ・ホセ・ファーマーがキルゴア・トラウト名義で書いたもの。

デレク・ハートフィールド名義の本は、
ボクが知る限り刊行されてはいないはずだ。

しかしどちらも本当に架空なのかな?
もしかすると別の時間軸では実在していたかもしれない。

デレク・ハートフィールド

デレク・ハートフィールド

風の歌を聴けの主人公である『僕』は、
文章についての多く(殆ど全部)を彼に学んだという。

そんな彼は不毛の作家だったけれど、
文章を武器として闘うことのできる数少ない非凡な作家だったらしい。

それは同時代の作家、
ヘミングウェイやフィッツジェラルドに劣るものではないと僕は思っている。

ただ残念なことに、
彼には最後まで自分の闘う相手の姿を明確に捉えることはできなかった。

8年と2ヶ月、
彼はその不毛な闘いを続けそして死んだ。

1938年6月のある晴れた日曜日の朝、
右手にヒットラーの肖像画を抱え左手に傘をさしたままエンパイア・ステート・ビルの屋上から
飛び下りてしまう。

彼が生きていたことと同様、
死んだこともたいして話題にならなかったようだ。

彼の墓標は遺言に従って、
ニーチェの次のような言葉が引用されている。

昼の光に、
夜の闇の深さがわかるものか。

昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。

O Mensch! Gib acht!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
»Ich schlief, ich schlief—,
Aus tiefem Traum bin ich erwacht:—
Die Welt ist tief,
Und tiefer als der Tag gedacht.
Tief ist ihr Weh—,
Lust—tiefer noch als Herzeleid:
Weh spricht: Vergeh!
Doch alle Lust will Ewigkeit—,
—will tiefe, tiefe Ewigkeit!«

―Friedrich Nietzsche,Zarathustra’s Rundgesang

おお人間よ!心せよ!
深い真夜中は何を語っているのか?
我は眠っていた 我は眠っていた
我は覚める 深き夢より
世界は深い
はるかに深いのだ 昼間が考えていたよりもずっと
深いのはその嘆きだ
だが喜びは嘆きよりもずっと深い
苦悩は語る 消え去れ!と
しかし歓びはあらゆる歓びを永遠に求める・・・
深い深い永遠を求めるのだ!

ハートフィールドの墓標に刻まれた言葉は、
このニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』第4部からの引用なんだろう。

昼の光に、
夜の闇の深さがわかるものか。

ニーチェの名言として良くあちこちで見かけるけど、
原文とは随分と違っている。

まあ意訳といえば言えなくもないけど、
わかっていてこうしたとしか思えない。

何しろハートフィールド自体フェイクなわけで、
墓標の言葉だけが正しいとは限らないのだ。

マーラー 交響曲第3番ニ短調

ところでこのニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』第4部を交響曲に取り入れたのが、
グスタフ・マーラーだ。

1895年から1896年にかけて作曲された、
マーラーの交響曲第3番ニ短調は全部で6楽章から成っている。

その第4楽章では『ツァラトゥストラはかく語りき』第4部の詩が歌詞として用いられていて、
アルト独唱第19章酔歌の第12節ツァラトゥストラの輪唱から採られた歌詞を唄っている。

最後にその部分を、
クラウディオ・アバド指揮・ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で。

何しろ全部聴くと、
1時間40分ほどかかるからね。


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