強くありたいと願ったり弱い自分を否定する必要はない

wish-you-were-here

それって1ミリの可能性もない絶望ってことなのかしら?

ラジオからは、
チューニング音。

チャイコフスキーのシンフォニーのフィナーレが流れたかと思えば、
やがてアコースティック・ギターが鳴り出す。

完璧な文章などといったものは存在しない。
完璧な絶望が存在しないようにね。

何だい?
それは。

確か、
誰かの小説の最初のフレーズだったはずよ。

完璧な文章のことはわからないけど、
完璧な絶望ならありそうな気がする。

あなたは、
そういった絶望を抱えているの?

完璧な絶望…どうだろう?
100%無理なことだったら引き出しにしまいっぱなしだけど。

それって1ミリの可能性もない絶望、
ってことなのかしら?

まあ、
そんなところだね。

99% for Nothing

1ミリの可能性もないことだってある

可能性は低いけれど、
全くのゼロではない。

そういうことなら、
いくらでも転がっている。

%の大小こそあっても、
それは夢や希望に繋がる。

でもそれって、
もしかするとあちこちにあるように見えているだけなのかもしれない。

そして、
1ミリの可能性もないことだってある。

そこには、
絶望しかない。

それを完璧な絶望と呼ぶのかどうか?
はわからない。

でもそれは、
ある種の絶望であることには違いない。

強くあろうと願ったり弱い自分を否定したりする必要はない

だからといってある晴れた日曜日の朝に右手にヒットラーの肖像画を抱え、
左手に傘をさしたままエンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び下りる必要はない。

エヴリン・マクヘイルのように、
The Most Beautiful Suicide にならなくて良いのだ。

なぜなら、
生きていれさえすればいずれは救済されるからだ。

それを望んでいるのか?いないのか?
は別にして。

もちろん、
その救済の後には何かしら闇みたいなものは残るかもしれない。

その闇だけは、
時間が経っても変わらず残されたままになるかもしれない。

それでも、
時間の経過によって闇は少しは遠のいていくものだ。

それは、
自身が強くなるということでは決してない。

むしろ、
弱くなるということなんだろう。

段々と感覚が鈍くなって、
多くの失ったものに対する感情は昔ほど揺れ動かなくなるというだけのことだ。

そうなるには、
随分と年月を経なければならない。

そんなに待ってはいられないと思うのなら、
文章を書くと良いかもしれない。

可能性が1ミリもないことを、
何度も何度も確認しながら書き続ける。

それは、
確かに自己療養へささやかな試みくらいにはなる。

少なくとも、
ボクはそうすることで上手く鈍感さを手に入れることができた。

そして弱さを手に入れ、
鈍感さを手に入れて未だにくたばらずにいる。

もちろん強くありたいと願ったり、
弱い自分を否定する必要はない

ただ弱い自分を肯定して、
鈍感であることに感謝することだって悪くはない。

そうすれば1ミリの可能性もないことを引き摺るのではなく、
受け入れられるようになるかもしれない。

Pink Floyd – Wish You Were Here

ラジオのチューニング音、
チャイコフスキーのシンフォニー。

ピンク・フロイドが1975年にリリースしたアルバム、
Wish You Were Hereのタイトル曲だね。

最後に風の音のエフェクト、
そしてアルバム最後の曲Shine On You Crazy Diamond (Part VI-IX)へと続いていく。

この風の音は、
シド・バレットの声なのかもしれない。

余談だけど、
もし自身の葬式で何か曲を流せるんだったらボクはこの曲が良いなと思っている。

まあWish You Were Hereと思って下さる方が沢山いるとは思えないけど、
だからこそなのだ。

チャイコフスキー – 交響曲第4番 ヘ短調 作品36 第4楽章

ラジオのチューニング音の中で流れるチャイコフスキーのシンフォニー、
これは交響曲第4番 ヘ短調 作品36 第4楽章の一部だ。

パトロンになったメック夫人に宛てた書簡の中で、
チャイコフスキーがこの楽章のことを述べている。

この世は暗黒だけではなくこの楽章で示されているように多くの素朴な人間の喜びがある。
たとえ馴染めずともその喜びの存在を認め悲しみを克服するために生き続けることができる。

チャイコフスキー

ボクが小学生のころだったのかな?
初めて聴いたチャイコフスキー – 交響曲第4番 ヘ短調 作品36から第4楽章。

それはエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団だったはずだ。

もちろんこの組み合わせを生で聴けることは、
もう1ミリの可能性もない。

それでも、
記録は記憶を呼び起こす。

素朴な人間の喜びは、
とても尊いものだ。

パンデミックを経験したことで、
より一層そう感じられる。

もしもそれに馴染めなくても、
その喜びの存在を認め悲しみを克服するために生き続けることができるというのはその通りだと思う。

そうすることで、
1ミリの可能性もない世界から可能性がある別の世界に飛び移ることができるかもしれない。

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