時間が経つといろいろな可能性がゼロになることもあれば考えもしなかった可能性が現実になることだってある

時間が経つといろいろな可能性がゼロになることもあれば考えもしなかった可能性が現実になることだってある。可能性は拡がったり縮んだりするものだ。だからそのことを忘れずにタイミングを見計らって物事のはんだんをしていくようにしなければいけないのだ。

金木犀

金木犀。厚い雲に隠された月、暗い夜道家路を急ぐ。知らぬ間に、甘い香り満ち満ちて。赤黄色の金木犀は見えないけれど、ここにいるよと教えてくれる。香りがボクを追いかけてくる、香りがボクを待ち伏せしてる。甘い香りは、海馬目掛けて一直線にやってくる。…

時間が向こうからやって来てどうぞ自由に使ってねと言ってくれていた頃のお話

下らないことばかりの日々で後悔の数が増えると、 時として大事なものをきちんと丁寧に大切に扱えるようになる。そんな風に考えると、後悔の数を増やすこともあながち悪いことではなくなるのだ。まあ、考え方次第で同じことでも違うものになるということだ。

虹を見たいのなら上を向いていることだ

『You’ll never find a rainbow if you’re looking down.』はチャップリンが言ったことになっている名言。Rainbow といえば思い出すのがエヴァ・キャシディ『Over The Rainbow』。

小確幸の連続は幸せを状態化するのかもしれない

本来、幸せとは状態ではなくそう感じる瞬間。だから状態として幸せになるとか、なんて自分は不幸なんだろうと思うのはちょっと違う気がする。ただ日常生活での小さくてささやかだけれど確かな幸せをいつも感じられるのだったらそれはある意味幸せ状態かもな。

勇気と冷静さと賢さと~ニーバーの祈り~Let It Be

神よわれらに与えたまえ、変えられるものを変えるだけの勇気を、変えられないものを受けいれるだけの冷静さを。そして変えられるものと変えられないものとを見分ける賢さを。とは神学者ラインホルド・ニーバーが1943年教会でお説教したとされる祈りの言葉。

『ア、秋』ではなくて『ア、死』

太宰治作品『ア、秋』。文芸雑誌『若草』昭和十四年十月号発表。翌年四月竹村書房から刊行した単行本『皮膚と心』というものがある。そこに『女人訓戒』『座興に非ず』『デカダン抗議』と共に『短片集』として収録された。これを基に『ア、死』を書いてみた。

キンクスと太宰治がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!

秋分の日になると必ず聴く曲がある。キンクス1967年リリースの『Something Else By The Kinks』から『Autumn Almanac』。そして必ず読む文章がある。太宰治の『ア、秋』。知っている人が増えるといいなと思う。

チョコレートって実は偉大だったりするのだ

本当に必要なのは愛だけどたまにはチョコレートも悪くないわね。チョコレートはセラピーよりも安いし予約の必要もない。チョコレートが愛の代わりになるわけではない。愛はチョコレートの代わり。チョコレートは男よりも遥かに信頼できるという現実を見よう。

いつか、はずっといつかのままの方が良いのかもしれない。

いつか、はずっといつかのままの方が良い場合もきっとあるに違いない。いつかが現実に叶ってしまえばもういつかではなくなってしまう。いつかでなくなってしまえばもう何も想像することもない。拡がっていた想像は膨らむことを止めてただの現実になってしまう。