『ア、秋』ではなくて『ア、死』

太宰治作品『ア、秋』。文芸雑誌『若草』昭和十四年十月号発表。翌年四月竹村書房から刊行した単行本『皮膚と心』というものがある。そこに『女人訓戒』『座興に非ず』『デカダン抗議』と共に『短片集』として収録された。これを基に『ア、死』を書いてみた。

キンクスと太宰治がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!

秋分の日になると必ず聴く曲がある。キンクス1967年リリースの『Something Else By The Kinks』から『Autumn Almanac』。そして必ず読む文章がある。太宰治の『ア、秋』。知っている人が増えるといいなと思う。

チョコレートって実は偉大だったりするのだ

本当に必要なのは愛だけどたまにはチョコレートも悪くないわね。チョコレートはセラピーよりも安いし予約の必要もない。チョコレートが愛の代わりになるわけではない。愛はチョコレートの代わり。チョコレートは男よりも遥かに信頼できるという現実を見よう。

いつか、はずっといつかのままの方が良いのかもしれない。

いつか、はずっといつかのままの方が良い場合もきっとあるに違いない。いつかが現実に叶ってしまえばもういつかではなくなってしまう。いつかでなくなってしまえばもう何も想像することもない。拡がっていた想像は膨らむことを止めてただの現実になってしまう。

ベンチは豊かさの象徴かもしれないななんて思ったりして

100年以上も昔々のこと、アメリカのフロリダ州西海岸にあるセント・ピーターズバーグには、なんと7000もの緑色のベンチがあったそうだ。誰にでも開かれた場所で誰でも受け入れられる場所…そんなある意味理想のような場所がかつては存在していたのだ。

感じる感じ方は「おや、すてきだぞ」か「あれ、ひどいな」の二通りしかない。

わたしが詩を読む時、感じる感じ方は「おや、すてきだぞ」か「あれ、ひどいな」の二通りしかない。他には、ない。これは高橋源一郎氏のデビュー作『さようならギャングたち』の一節。ボクも何かを見たり読んだり聴いたりする時は同じように、二通りしかない。

誘惑から自由になるたったひとつの方法はそれに屈することだ

オスカー・ワイルド唯一の長編『ドリアン・グレイの肖像』の中のフレーズ。The only way to get rid of a temptation is to yield to it.誘惑から自由になるたったひとつの方法はそれに屈することだ。

誘惑なしに魂の成長はない。

Without temptation the soul cannot grow.誘惑なしに魂の成長はない。このジェームズ・アレンの言葉がそのままの意味ならボクは大賛成である。誘惑を遠ざけるということは思考停止、想像力に乏しい魂をつくるからだ。

誘惑には屈する方がいい、もう二度と訪れないかもしれないから。

Yield to temptation. It may not pass your way again.…誘惑には屈する方がいい。もう二度と訪れないかもしれないから。確かにその誘惑が二度と訪れないのならみすみす逃してしまうのは少し勿体ない。

花火 若者のすべて

花火だ。ふとある言葉が浮かんでくる。兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました。そしてこの曲が少し遅れて頭の中で流れだす。ないかな ないよな きっとね いないよ 会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ。妄想が現実になる可能性を残せ。