富士吉田のうどんと志村正彦とクリスマス・イヴと

富士吉田と言えば『吉田のうどん』だった

吉田のうどん

少しまえのことだけど、
吉田のうどんを食べた。

残念ながら富士吉田で食べたわけではなくて、
お取り寄せでお家で食べたのだ。

富士吉田と言えば、
ボクにとってずっと『吉田のうどん』だった。

毎年のように、
夏は富士山周辺に行っていた時期がある。

そうなると、
必ず1回は吉田のうどんを食べに向かうことになる。

普通の民家に見えるが、
実はうどん屋というお店が多くあった。

多分『白須うどん』が、
最初に食べたお店だった気がする。

当時は本当に普通の家だったが、
今ではリニューアルして綺麗になっているみたいだ。

初めて食べた時は、
本当にこれで良いの?というくらいに硬くてコシが強い麺に驚いた。

でもその硬い麺も、
噛めば噛むほど素材と出汁の旨みが口いっぱいに広がる。

そしてゴマ・山椒・唐辛子などを混ぜ合わせて作った、
こだわりの薬味『すりだね』は欠かせない。

キャベツや馬肉のトッピングが定番だが、
お店毎にやはり美味しさが異なる。

吉田うどんはハタオリマチだった富士吉田だったから生まれた

桜井うどん

さて、
1,000年以上前の平安時代から織物の名産地として広く知られてきた富士吉田。

現在も多くのファクトリーブランドが集積する、
いわゆるハタオリマチだ。

昭和の初めは、
下吉田地区の半数以上の世帯が繊維業を営んでいるほど繊維業が栄えていたらしい。

織物の機械を動かす女性が昼食の準備で作業が止まらないよう、
織物を扱う女性の手が荒れないようにと男性が昼食にうどんをつくるようになったといわれている。

男たちは腹持ちの良いうどんを作る為に力一杯うどんをこねたことから、
あの硬いうどんが誕生したと言われている。

最後の富士吉田は2010年

月光カフェ

そんな富士吉田を最後に訪れたのは、
もうひと昔以上も前の2010年のこと。

もちろんその時もうどんは食べたが、
それがまさか今のところの最後になるなんて思ってもいなかった。

でも案外そんなもので、
大概はしばらくしてからそういったことにふと気付くのだ。

うどんを食べたあとは、
月江寺商店街や西浦地区をぶらぶらと歩いた。

なんとなく昭和レトロな感じがして、
街の中を歩くのはなかなか楽しかった。

富士吉田といえば志村正彦になり

月光カフェ

その前年の2009年、
この富士吉田市出身のバンド『フジファブリック』のフロントマンだった志村正彦が亡くなっていたことを知るのはもう少し後のことだ。

決して歌が上手いというわけではないが、
彼に選ばれた言葉やメロディには明らかに魔法がかかっている。

そんな彼の歌声を初めて聴いた時、
もう既に彼はこちら側には居なかった。

そして、
ボクにとっての富士吉田は『吉田のうどん』から『志村正彦』になったのだ。

12/24はクリスマスイヴではなくなった

月光カフェ

そしてイルミネーションが輝きクリスマス・ソングが流れる12/24は、
いつからかクリスマス・イヴから志村正彦が消えてしまった日になってしまった。

もちろんクリスマス・イヴではあることには変わりないし、
クリスマス・ソングは嫌いじゃあないから聴くけど。

でも、
イヴの夜はキミの歌を何度も繰り返し聴くようになったんだ。

そっちはどうだい?
こっちは相変わらずというかどんどん酷いことになっている気がするよ。

そういえばキミが多分1番美味しいと言っていた『みうらのうどん』、
そのうち食べに行ってみようと思ってるんだ。

そう思ってから、
もう随分と時間が経ってしまったけど。

♫ フジファブリック – 茜色の夕日

月光カフェ

この1年は…

この1年、
この歌を聴くことはなかった気がする。

それでも、
今日はもう何度もく売り返し聴いている。

12/21~12/27の期間、
富士吉田の夕方5時のチャイム音がこの曲になる。

今日も寒い中、
流れたんだろう。

電車の中では、
クリスマス・ソングを聴いていた。

泣いちゃうと、
ちょっと困るからね。

その代わりと言っては何だけど、
これから時計の針が0時を越えるまでは聴き続けるよ。

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