3つの本音

ある3つの本音。それはある意味本音であり建前であり。異論反論などは受け付けない。それはボクの本音なだけだ。あれこれ言われる筋合いはない。それにしても筋合いがないと言ってもつべこべ言いたがる奴っているんだよな。暇をそこまで持て余しているのかな?

SOMEDAY/OVERLAPのカセット・テープが流れる2つのシーン

年上の彼女からもらって年下の彼女に引き継がれた『SOMEDAY/OVERLAP』のカセット・テープ。あのあとどうなっただろう?なぜか海の底に沈んでしまったそのカセット・テープのイメージがボクの頭の中にある。それはいったい何を表しているのか?

価値観の違いと性格の違い

価値観と性格の違いは似て非なるもの。性格の違いはどうってことないが価値観の違いは致命的。今の自分のパートナーはどう?性格が合わないくらいなら、それは大して悩む必要なんてない。ただ、価値観がもしも異なるのなら少し考えた方が良いかもしれない。

逃げ出したくなることだってある

逃げ出したくなることだってある。それは甘えなんだろうか?我儘なんだろうか?悪いことなんだろうか?ハンガリーの諺にSzegyen a futas, de hasznos(逃げるは恥だか役に立つ)というものがある。逃げることは選択肢であり戦略だ。

富士吉田のうどんと志村正彦とクリスマス・イヴと

『富士吉田のうどんと志村正彦とクリスマス・イヴと』。彼が魔法をかけた音楽を聴いてからは、ボクの中で富士吉田と言えば吉田のうどんだったけれど今ではもう志村正彦になってしまった。そして、クリスマス・イヴと言えば、彼が消えた日になってしまったな。

慣れてまあいいやと思うことは別に甘いとは限らないんだと思うけどな

たまには『まあいいや』と甘やかすことは悪くない。それは向日葵でも何でも良いんだけれど、『まあいいや』になるものを幾つか自分の中に持っていると随分楽に過ごせたりする。そして、良い意味で慣れて以前はどうだこうだと懐かしむ前に先に進むのもありだ。

オレたちはみんなドブの中にいる

We are all in the gutter, but some of us are looking at the stars.とはオスカー・ワイルドの言葉。オレたちはみんなドブの中にいる。でも、中には星を眺めている奴らだっているんだ。

October

1年の最終コーナーに差し掛かった10月、3/4を振り返るとまあいろいろあったような何も無かったような。そうやって最後の直線コースも駆け抜けて、今年も終わっていくのだろう。日常を取り戻してしまえば、それが普通になる。普通は普通に戻り・・・。

時間が経つといろいろな可能性がゼロになることもあれば考えもしなかった可能性が現実になることだってある

時間が経つといろいろな可能性がゼロになることもあれば考えもしなかった可能性が現実になることだってある。可能性は拡がったり縮んだりするものだ。だからそのことを忘れずにタイミングを見計らって物事のはんだんをしていくようにしなければいけないのだ。

金木犀

金木犀。厚い雲に隠された月、暗い夜道家路を急ぐ。知らぬ間に、甘い香り満ち満ちて。赤黄色の金木犀は見えないけれど、ここにいるよと教えてくれる。香りがボクを追いかけてくる、香りがボクを待ち伏せしてる。甘い香りは、海馬目掛けて一直線にやってくる。…